シニアライフ入口で戸惑う暮らし どうする?

60歳でキセキの正職員採用、定年が無いけどいつまで働くの?

やっと年金事務所から便りが届いた

約1年前父が倒れたあと10ケ月

入院費用と高額な施設費用支出があった

ある程度の貯えがあったので実家は普通に暮らせた


亡くなったあとは父年金収入が亡くなる

2ケ月程前に遺族年金手続きをしに年金事務所へ

遺族年金がおいくらいただけるか

母がイチバン気になる部分



やっと年金事務所から便りが届いた

母が一言「少ないなぁ…」と


無理もない

父厚生年金分の3/4から母受給厚生年金分が差し引かれる

それでも何とか暮らしていけるだけはある

古いが広い家と庭がある





お父さんがお金を残してくれたから.…

位牌やお墓とか良いものにしてあげたいと

没後出費が桁外れにあるがそれは父の貯えから

5月からは落ち着いたお金のやりくりと暮らしになるだろう


GW中日の平日に、銀行預金を母名義変更手続きへ

遺産分は全額母名義にする予定

みんなで旅行したり食事したりする基金に


父のことを想い出すのが一番の供養らしい



昼間は一人暮らしの母のフォローをどうするか

平日はほぼ毎日予定がある母

脳の活性化には良い状態だが


毎日昼間に安否確認の連絡をすると

天候が悪いとか日によって反応が悪い日がある

どう寄り添っていくか?見守っていくか?

これからの課題である

病院に昭和レトロ感は不要

今日からGW

絶賛プー太郎期間の私には関係ない

朝から良い天気、大物毛布を洗濯したよ


連休明けから本格的就活とプチ旅行

タイミングが合えば眼瞼下垂手術…と上手くいけばいいな



平日に行動できる貴重な期間、義母の面会へ

大腿骨骨折術後2週間経過

通常なら退院して施設に戻るか

リハビリ病院へ転院するかになる


義母は「努力」の文字が何よりもキライ

今まで運よく楽して生きてきたからね

なのでリハビリ病院に転院しない



かと言って施設に戻るのも…ね

(施設側の重大な過失での骨折、相方は別の施設に入れたい

空きが出るまでのキープとして現施設を借りたまま)


同じ病院の「地域包括ケア病棟」でMax40日間入院予定





その病棟に初めて面会へ


本館自体が昭和感溢れすぎな老朽化したの建物

別館(たぶん元本館)は更に昭和過ぎる

廊下・病室の天井に露出配管、ありえんわ

神戸乙仲通りのレトロビルのよう

戦後間もない頃の朝ドラロケが出来そう



早く再介護認定がでて

相方勤務の高齢者施設に移れば自宅からも近い

今の病院はや施設は車で30分程かかるしね


退院して症状が確定したころ

施設と補償問題とか話し合わなければならない

退院まで約1ケ月少しはしばし静かな時間だ

ぬか喜び

一旦整理した書類関係を入れている大きなBOX

蓋の付いた籠で引越用ダンボール箱位ある

もう一度取り出してみた


前の家のリフォーム関係書類等は不要

店をしていた関係の資料

写真とか雑誌掲載のものを残して処分



するとペランと「企業年金加入者証」が出てきた


派遣以外では企業年金に加入できるような

シッカリした会社には勤めたことが無いのに

何だろうか・・・


父は数か月在職でも企業年金をいただけたのを思い出した

とりあえず電話してみよう





連絡するとどうやら住所も電話番号も引っ越していて

新しい番号を機械が教えてくれた


電話して加入者番号と名前を告げると

〇〇という会社に勤務していた時のものらしい

あぁ、懐かしい名前だ


「何か良いことありますか?」と尋ねると


在職しているは1年程

3年以上加入していれば年金受給のお便りを送っています

その加入者証は破棄してくださってけっこうですと


ぬか喜びだった





企業年金加入者証と一緒に残っていた

約20年前の雇用保険受給者証


どうみてもヤンキーあがり