シニアライフ入口で戸惑う暮らし どうする?

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やちむん焼き

実家は沖縄?って言われたほど
沖縄旅行をしていた時期があった。


夏はビーチでまったりと
秋から冬は食べて呑んで海を眺める
冬でも沖縄の海は美しいのである。



旅に出ると地元の焼き物を購入することが多い。
とくに沖縄の焼き物“やちむん”に魅せられた。
南国らしい豪快な器の虜になった。


那覇「壺屋やちむん通」、読谷村「やちむんの里」に
足しげく通い馴染みの店も出来た。


自宅でも普段遣いに、お土産にも購入
重たいし割れ物なので、宅急便で送ってもらって
さながらお店のようになった。


実際、当時商いをしていた店で供したが…。





あまりに増えすぎてメルカリに出品。
とても人気で秒殺レベルで売れた。


「こんなお茶碗ありますか?」とメッセージが届くほどに…。


いくら何でも陶器店じゃないよね。





みなさんに喜んでいただいたのが何より。


そしておかげさまで、メルカリ旅行にでかけた。
(売却したお金でSLに乗車して寸又峡温泉へ)


残っているお気に入りは大切に使おう。
どれも一点物で二度と出逢いはないものね。




最後になりましたが、今日は8月15日は終戦記念日。
沖縄は唯一地上戦があったところです。
甲子園球場では正午に1分間の黙祷の時間がありました。


75年年前は両親もまだ子供で、山奥に住んでいたので戦争の実感はなかったそうで、疎開してきた子供達で学校が賑わったそう。



私は「かわいそうなぞう」の話を聞いて、戦争を知りました。


原爆資料館は初代と2代目と2回訪れました。
まだ小学生だったとき、初代の資料館の建物は簡素で、展示されているものを見て息をのむほどショックを受け、原爆に対する恐怖・怒りを感じました。視覚に訴えるのは強烈でした。


資料館の人形が子供が怖がるからと撤去されるという話を聞き驚きました。
怖いからこそ戦争の悲惨さが理解できるのに、決して忘れてはならない歴史に目を背けることなく伝える必要性があると思います。


犠牲になられた方々に、心からご冥福をお祈りいたします。
二度と同じ過ちをおこさずに、平和な世界になりますように。